20日目 赤道近くの避暑地ブキティンギ。

Aは昨日、朝早いほうが良いだろうから8時に迎えに行くと言っていた。

若干申し訳ないが、インドネシア人の時間意識を検証してみる。日本人で友人との約束となると大体10分前〜5分遅れ集合ぐらいだろうか。
7時50分に支度を済ませ、一応Aにおはようとだけメッセージを送るが既読にはならない。
8時20分。いつ頃来るのかとメッセージを送るが反応はない。
8時40分。電話をするとすぐに出て、おはよう、今から行くよと言われた。


その隙に近くで朝食。ナシゴレン11kルピア。

9時。Aが現れた。確認の電話を入れるまで全く反応が無かったので放置した場合が気になるが、余り遅くなってはブキティンギに行けないので40分でしびれを切らしてしまった。

ここからが意外と大変でバスターミナルやバス会社に行ってもブキティンギへのバスは無いと言われる。Aが現地語で色々と聞いて周り、最終的に乗り合いタクシーの様なブキティンギ行き、ミツビシのオンボロバンを見つけてくれた。

どうやら近距離過ぎて、大きなバスは走っていない代わりに乗り合いタクシーが常にパダンとブキティンギを行き来しているようだ。
Aと別れの挨拶をし、バンはブキティンギへ向け出発した。

やはり乗り合いタクシーだという見立ては間違ってなかったようで向う方角が合う人を途中で乗せたり降ろしたりしながらのんびり進む。


運転手が助手席に乗せてくれ、9割インドネシア語だったが見えるものを色々説明してくれた。


運転手が道端で買い、分けてくれたお菓子。
ココナッツのパンケーキ。

宿を出て3時間ほどでブキティンギに到着した。


ブキティンギのシンボルとも言える時計台広場。
オランダが建築し、大戦時代には日本軍が和風に改造し、地震で崩れた際にはミナンカバウ建築を模したオブジェを上につけ今の形となっている。


Aにここはマストだと言われて来た、動物園。正直マストと言うほどでは無かったが山間のブキティンギでは休日を過ごす憩いの場なのだろう。


夜の時計台広場。赤道の50km南に位置するこの都市だが、標高が高く夜は半袖では少し肌寒いほど涼しくなる。
涼しくなり活動的になるのか、友人や恋人同士、家族連れが集まり賑わいを見せていた。スピーカーの音楽が響き、屋台に物売りと賑やかな広場で一人黙々とご飯を食べる。寂しくないと感じるのは一人旅に慣れてしまったからだろうか。