29.30日目 ふりだしに戻る

私は旅の終わりの消化するだけの時間が好きだ。
一通りやるべきことを終えた達成感とその土地を離れてしまうことへの名残惜しさを存分に味わうのがなんとも贅沢に感じるのである。

だがまだ2日あるのだ。もう少しだけ足を動かすことにする。

この旅行最後のドミトリーでは一人の日本人Kと出会った。彼は経験豊富なバックパッカーで今回はクアラルンプールから半年間かけてヨーロッパを目指すそう。

そんな彼とはこの2日間、旅の情報を交換しつつ行動を共にした。


ブルーモスク。

同時に4万人が礼拝できる礼拝所。

Kが良い写真を撮ってくれた。


ナシゴレンパッタヤー。


アッサムペダス。 旨激辛スープで羊肉が煮込まれている。

あっという間の2日間が過ぎ、互いの無事を祈り合い別れを済ませた。

再び一人となり、空港へ向かい出国を済ませると3週間前の記憶がフラッシュバックする。

バリ島へと飛び立ったスタート地点である、クアラルンプール国際空港第一ターミナル。
私は確かにここから飛び立ち、見知らぬ土地で乗り合いバスに鉄道そしてフェリーでここまで帰ってきたのだ。

搭乗が始まり、冬服を持っていないことを不安に思いつつマレーシアを後にした。

あとがき

前回の南のアジア紀行に比べると全体的には楽で、平和な旅になりましたが、言語と情報にかなり苦戦を強いられました。
言語というのは英語の浸透率の悪さ。都市部のホテルでは英語が通じましたがその他の場所では英語が通じたら運が良いというレベルで何かを伝えるということに大変な思いをしました。
一方で、店で買い物や食事をするとかバスのチケットを買うといった単純な事は言葉がほぼ通じていなくても何とかなるもので苦戦したとは言え、旅をする上で言葉はさほど重要では無いのかと思えるほどでした。

もう一つの情報というのは前例を参考にしにくかったということです。南アジアでは昔から多くの日本人が訪れていた地をなぞる様に移動したので旅の情報が足りないということはありませんでした。
しかし、今回はパダンやブキティンギ、ドゥマイと言ったスマトラ島の小都市を訪れた事もあり先人の情報が不足しておりました。

情報不足を補うべく、現地で道を聞けど言葉が通じないこの2点が合わさり中々厄介な問題ではありましたが、南アジアと同様にこちらでも多くの現地の方々に助けられ一つ一つ問題を解決していくことが出来ました。

この経験から案外、苦戦はすれど言葉や情報は必ずしも最初から持っていなければならないものでも無いのかなと思います。
代わりに、南アジアで培った度胸と日本から持ってきた飛行機に乗らずに移動してみたいという酔狂が目先の問題を解決する原動力となってくれました。

きっとどこに行っても度胸と酔狂があればやりたい様に旅は出来るんだろうなというのが今回一番の学びです。

最後になりますが一ヶ月間、読んでいただきありがとうございました。今回をもってこのブログは恐らく終わりです。


※危惧していた冬服を持っていない件ですが、成田→羽田→福岡→自宅の間で外気に晒される時間は合計30分もなく案外大したことなかったです。


帰国して最初に食べた物は羽田空港のつけ麺。
つけ麺マニアでもないですが出国前最後のご飯はなりたけのつけ麺でした。

本当は東京にパダン出身の料理人が営むインドネシア料理屋があるらしく帰国後最初のご飯にしたいところでしたが時間の関係で今回は断念。来年以降行くことにします。

28日目 一ヶ月ぶりのクアラルンプールへ

帰国が迫りクアラルンプールへ向うときが来た。
いざマラッカを出るとなるとこれまで散々のんびり過ごしていたのに名残惜しさがこみ上げバスの時間まで朝から忙しなく街中を食べ歩く。


チャーシュー福建麺。12リンギット


3件目となるチェンドル。5リンギット


パンケーキで煮たココナッツが巻かれている。2リンギット

写真を撮り忘れたが、あと2品ほど食べてからバスターミナルへ向う。


バスターミナルに行く前、宿の親友にも別れを告げる。

アプリでタクシーを呼ぶと、マラッカ中心地からターミナルまで8リンギット。またマラッカからクアラルンプールまでのバスは9リンギット
およそ2時間ほどの移動でクアラルンプールに到着した。

クアラルンプールのターミナルから宿に到着する前、チャイナタウン近くで気になる店を見つけ、流れる様に注文した。


モモの店だ。小籠包ではない。懐かしのネパールの味を楽しんだ後は帰国まであと2泊世話になる宿にチェックインをし休息とした。

26.27日目 疲労は誤魔化せない。

昨日一日それなりに活動したのだが、この2日間は近所を散歩し、次の食事を何にするか考えるだけで過ごした。相当インドネシアの旅で疲れていたのだろうか。


ニョニャラクサ。マレー料理と中華料理がマラッカで融合したご当地グルメらしい。
辛いスープだが旨味が強くついつい飲んでしまい汗だくになる。



チーズナンとタンドリーチキン。
マレーシアの良いところは、中華インド、インドネシアマレー料理と料理の種類が豊富なところである。個人的には全ての料理をある程度食べ慣れているので冒険は出来ないが安心して食べられる。


マラッカで有名な教会跡地。中心部の観光地はあらかた回ったがイマイチぱっとしない。

後でゲストハウスに居た頻繁にマラッカに来ているという日本人にあまりぱっとしないマラッカで何をすれば良いのかと聞くと、マラッカは食べ歩きをするところだと言われた。
マラッカに来て何かゴールらしいことをしなければと思っていたのだが、どうやら今まで通りあれこれ食べていれば良いようだ。


その日本人に勧められた、マラッカのかき氷。
チェンドル。
ココナッツミルクをかけた氷にグラマラッカと呼ばれるマラッカの黒蜜や小豆、謎の緑色の物体を氷に乗せて食べる。ねっとりとした暑さが体力を奪うマラッカでは救世主的な食べ物だ。

2日間でしたことと言えばこのくらい。そろそろクアラルンプールへ行くべきだろうか。

25日目 ここには居られない。

これまでの様に宿を延泊延泊していくつもりだったが、昼になっても動かない野戦病院の住人達を見て早急にここを出て行かなければと思った。半ばここの住人に仲間入りをしており私も昼まで動かなかった訳だがチェックアウトの時間が迫り、延泊申請をアプリからしてしまう前に荷物をまとめ宿を飛び出した。

移動先のゲストハウスは昨日泊まった最安よりも10リンギット高いのだが、個室で日本人のレビューも多い清潔な場所だった。気分が良くなったので街に繰り出す。


マラッカにあるリトルインディアで久々のドサを食べる。マレーシア語で何と言うのかわからなかったがドサドサと言っていたら出てきた。


マラッカの川沿いを歩く。汚い川を眺めているとミズトカゲがいた。よく観察してみると大量に日光浴中のトカゲがおり大きいものは2mを越しそうだ。


近くの草むらにも潜んでおり捕獲を試みたが逃げられた。



マラッカの川沿いにはバーや壁画が並び、良い雰囲気なのだが蚊が多いうえ、川がガンジス川と同じ色をしており、さらには臭い。


昼食の足しにとインドネシアで気に入ったガドガドを買って帰りゲストハウスでしばし休憩。


宿の猫と戯れる。


夕食は宿のスタッフと一緒にテイクアウトをしてきてゲストハウスで食べた。

24日目 ゴールマラッカ

マラッカに到着した私は途方もない脱力感に寝台へと縫い付けられていた。

マレーシアに入国し、フェリーで2時間の対岸とは思えぬ清潔感漂う町に格差とマレーシアが東南アジアの優等生と呼ばれる所以を垣間見る。インドネシア人に同化していた私は賑わう繁華街を行き交う数多の中国人観光客にアウェー感を覚え、ネパールに入国した時の顔が似ていることへの安心感とは程遠い感触に困惑していた。
本日の宿泊先はアプリで最安だったゲストハウス。一通り宿の案内を受け、ホットシャワーが出ることに関心していたのも束の間、ドミトリーに入ると異様な空気に包まれた。

ドミトリーは広間にシングルベットを並べた上から蚊帳をぶら下げ、ベットとベットの間には頼りないベニヤ板が仕切りとなっている野戦病院さながらの風景だった。そして昼過ぎだと言うのに、部屋の電気は消され薄暗く、半数以上のベットに欧米人が横たわっていた。

活気ある中国人を見ながら歩いてきて、ドミトリー内のこの落差に衝撃を覚えながら私も彼らの一員に加わった。

そして冒頭、現在に至る。
思いの外マレーシアでの時間が余ったのでクアンタンに行ってみるとか、ひとまずマラッカを歩こうだとか考えは浮かぶものの体が動くことはなく、やっとの思いで近くの中華料理屋でチャーハンを食べ再び宿に戻る。

脱力感に心当たりはある。インドネシアを歩くときはある程度気を張って歩いたものだが、マラッカではその必要性をあまり感じず安心感から気が抜けてしまっているのだろう。
明日には気力も回復して動き出せるはずだと自分に言い聞かせ、今日は何をすることも諦め眠りにつくことにした。

ブキティンギからドゥマイ、マラッカまでのフェリー移動

本日はブキティンギから深夜バスとフェリーを使ってマラッカまで行く方法を紹介する。

というのも、この区間に関する日本語の情報がかなり少なく、古いブログで多少見れる程度で地球の歩き方にも載っていない。
そこで、これまで先人達のブログに助けられてきた一人として、後続に向けたまには有用な情報を残そうと思う。

情報は2023年11月のものになります。

まず最初に申し上げると、最安でマラッカにアクセスしたい方はペカンバルから飛行機でクアラルンプールに飛ぶことをおすすめする。
飛行機 当日6000〜7000円 前日以前3000〜4000円
当日は辛うじてフェリーのほうが安いかもしれない。


それでも、船で国境越えをしたいんだという物好きはこの続きを読んで欲しい。


ブキティンギからドゥマイまではTerminal Aur Kuningというバスターミナルから深夜バスが出ている。

バスターミナルへは中心地の時計台からローカル市場の方に降りていくと、アウアーアウアーと言っている乗り合いタクシーの運転手がいるのでそれに乗り込めば良い。料金は4kルピア。

時計台から徒歩も含めて3.40分でターミナルに到着する。

ターミナルについたらどこでも良いのでバス会社のオフィスにいる人にドゥマイと言えばどこでチケットを買えるか教えてくれる。

私が買ったのはブキティンギ17時発ドゥマイ6時半着の夜行便。他の時間があるのかどうかは不明。
料金は180kルピア。インドネシアのサイトで調べても180kだったのでたぶん正規の値段。
バスはガラガラだったが不安なら前日に買っておくと良い。

バスは時頃通り発車し、ドゥマイには一時間早い5時半に到着。
バスから降りるとバイクタクシーの運転手がおり、フェリー会社のオフィスまで50kルピアだとかのたまうぼったくりのたわけもいるので要注意。15kまで値切れた。アプリなら8.5kだったが早朝の田舎町なので運転手は見つからない。

ちなみにここのバイクタクシー、客用のヘルメットがない。インドネシアでノーヘルは多いが客にノーヘルを強いるのは初めてだ。


フェリー会社のオフィス。
検索は「INDOMAL EXPRESS Fast Ferry」。
前日入りする方は写真奥の紫色の電飾看板を出しているホテルに泊まると便利そう。

朝7時にオフィスはオープンしチケットを買う。
550kルピア←たぶん固定価格。現金がなければリンギットやクレジットカードでも支払える。クレカだと手数料2.5%が上乗せされる。

オフィスから港までは無料送迎バスが出ているのでそれに乗っていき、到着したら後は係員の指示に従っておけば良い。

イミグレーションはパスポートを見せてほぼ素通り、何か聞かれたがyeahと適当に答えたら大丈夫っぽかった。


イミグレーションを出るとフェリーは目の前。


カウンターでエコノミーと言ったのだが席にエグゼクティブと書いてある。だがこの船の席は見た感じ全て同じなのでエグゼクティブしか無い可能性が高い。
インドネシアの長距離バスも最低がエグゼクティブということは長距離になるほどよくある。


マラッカ海峡は巨大船舶の通り道。それに伴い海賊も多い。


カワウソ?みたいなのがいた。

2時間ほどでフェリーはマラッカに入国。
入国審査ではパスポートにハンコのある国それぞれやたらと質問されたがまあ何とかマレーシアのスタンプも獲得できた。
去り際に、他の日本人より英語上手いねと言われ良い気分でイミグレーションを出た。


到着時のマレーシア時刻は12時過ぎ。

以上がブキティンギからマラッカまでの道のりとなります。

23日目 ブキティンギ最終日 番外編

夕方5時発のドゥマイ行きバスまで時間を潰す。


恐らく最後になるだろうパダン料理。
左側においてあるのはキキルという名前の料理。牛の皮をココナッツミルクのカレーで煮込んだもの。
値段調査を兼ねて絶対に外国人が来ないであろう食堂に入ると、祖母が日本人だという店主。戦争時代に祖父と祖母が出逢ったらしい。英語も少し出来るようで、まるで親戚の家に来たかのように暖かく迎えてくれた。料金は50k。ちょっと多めに食べたし、こんなものか?キキルが高いという可能性もある。


謎の果物。ライチみたいな味。


かなり熟したモモみたいな味。実は軽いモモアレルギー持ちだが異常はなかった。

市場を散々していたらイスラムの被り物をした女子達に囲まれ一緒に写真を取ってくれと人気者になってしまった。
未婚の女性がツーショットなど取って宗教的に大丈夫なのだろうか。後でやたら画質の粗い写真を貰ったがその対策だろうか。写真は一応載せないでおく。


市場の奥の方。
生きたニワトリのストックの上に肉にされたニワトリが置かれ、まな板もこのケージの上にあった。


2.3日前に紹介したミナンカバウ建築は、観光用に残っているわけではなく町の至る所で見られる。


初代副大統領の家。

家の壁は植物を編んで出来ており、隙間風がとても心地よい。

バスの時間が近づいたのでバスターミナルへ。
この後はブキティンギ→ドゥマイ→マラッカと移動する予定であり、3週間ほど前急遽旅のゴールに変わったマラッカが間近に迫ってきた。

番外編 インドネシアの長距離バス。

インドネシア内での長距離移動は基本的にバスが最安手段となる。きっちり比較してはいないが、メダンからスラバヤまでの狂気じみた長距離バスが運行されているのでバスのほうが安いのだろう。
どのくらい狂気じみているかというと、稚内から鹿児島までバスに乗るのと同じぐらい。

また面白いのは距離だけでなく移動中にも実に愉快な出来事に遭遇する。

インドネシア長距離バスここが好き!
その1。大音量の音楽!
アタリハズレをあるが当たりのバスに乗ったならば昼夜問わず大音量の音楽が旅行を彩ってくれる。当たりを引けば旅路が楽しくなること間違いなし!

その2。生演奏!
要所要所で歴戦のバンドがバスに乗り込み漏れなく乗客全員に生演奏を楽しませてくれる。勿論チケットに料金は含まれていないので演奏後はチップを求められる。イヤホンをしてダウンロードした映画に夢中でも料金が発生するゾ!断っても大丈夫。

その3。ド深夜の飯休憩!
途中適度にご飯を休憩があるのだが、何故その時間になるのか理解でない。16時にご飯休憩があったと思えば次の休憩は翌3時みたいなとこがザラにある。変な時間でも食べないと次の休憩までお腹がすく上、いつになるかわからない!

その4。腹が減っても大丈夫!車内販売!
休憩までひもじい思いをするのかと思いきや生演奏とセットで間食を売りに来る。賞味期限がいつなのか、どんな衛生環境で作られたか全くわからない食べ物を楽しめる!

その5。昼発ド深夜到着!
何故そのダイヤになっているのか全く理解が及ばない。昼の12時に出発して、到着朝3時みたいなことが多すぎる!実はバス会社はタクシーと結託しておりバスから降りた瞬間人気者になれる!!

以上です。