22日目 カブトムシを探しに行く。
ガイドにコーカサスオオカブトを見たいという話をしていたら、生息地に詳しい人を見つけてくれ探しに行けることになった。
コーカサスオオカブトとはカブトムシの一種で、私が小学生の時昆虫王者ムシキングを通して知った虫だ。
結論から言うと見つけられなかったが中々楽しい経験となった。
ブキティンギからバイクで2時間湖畔の村まで行く。
オランダが引いた線路。今は廃線。
日中は木の根元で落ちているヤシや枯れ木の中にいるらしい。
香水の香りがする草
鳥の巣。すでに巣立った後だとか。
湖畔の広大な水田が美しい。
ポイントを移動しつつ探したが、結局何も見つからなかった。成功報酬で約束していたので、負担したのは燃料とバイクのレンタル料だけだった。90kルピア。
ブキティンギへ帰り、浮いたお金でイスラムで手に入りにくい、久々のビールを楽しんだ。
21日目 ラフレシアを探しに行く。
ブキティンギについて調べているとラフレシアが咲く街であることが判明した。
早速宿のフロントに尋ねてみたところ、ガイドを手配してくれた。宿までの送迎、日本語ガイド、ラフレシア専門のガイドがついて200kルピアと破格の値段。
宿で日本語ガイドと合流し、山へ向う。彼は名をYと言い、日本人の奥さんが居て今はそれぞれの国に居るが近い内に日本に移住して一緒に暮らすらしい。
30分ほどで麓に到着しラフレシアガイドと合流する。
想像以上に山奥。トラがたまにいるらしい。
シナモンの葉。シナモンの香りがする。舐めると少し甘い。ここでラフレシアのガイドがシナモンの樹皮をちぎって食べろと勧めてきた。シカじゃないんだからと思いつつ食べるとやはり飲み込めない。
野生のマッシュルーム
ラフレシアの蕾
ラフレシアの花。世界一大きい花というだけあり巨大な花は圧巻だった。80cmぐらいありそう。
枯れたラフレシア。
花の寿命は1週間弱程度らしい。
麓の村ではコピ・ルアクの喫茶店があった。
一杯250円と激安。さっきラフレシアを探した裏山のジャングルにあるコーヒー豆から作っているらしい。ジョグジャカルタでは900円だったのであれは観光地価格だろう。
日本語ガイドと街に戻り、解散かと思いきや今日一日良いですよとのことで気になっていた日本軍のトンネルを案内してもらうことにした。
ここブキティンギはオランダによる支配や大戦時代に日本軍が拠点にしていた街であり、日本軍のトンネルはそれを象徴するような戦争の遺産である。
当時、インドネシア人が千人規模で動員され地中深く穴を掘り作られたトンネルでは工事中多数のインドネシア人が死亡したことでも知られており、日本人があまりニコニコして行ける場所でもないがブキティンギに来たならば知っておく必要もあるだろう。
暗く重苦しい雰囲気だった。私が奥へ奥へ行こうとするもガイドがかなり渋っていた。
トンネルのあとは少しお茶をして解散した。
インドネシアの飲み物で、これでもかと溶いた卵に熱いスイートミルクティーを注いだもの。
20日目 赤道近くの避暑地ブキティンギ。
Aは昨日、朝早いほうが良いだろうから8時に迎えに行くと言っていた。
若干申し訳ないが、インドネシア人の時間意識を検証してみる。日本人で友人との約束となると大体10分前〜5分遅れ集合ぐらいだろうか。
7時50分に支度を済ませ、一応Aにおはようとだけメッセージを送るが既読にはならない。
8時20分。いつ頃来るのかとメッセージを送るが反応はない。
8時40分。電話をするとすぐに出て、おはよう、今から行くよと言われた。
その隙に近くで朝食。ナシゴレン11kルピア。
9時。Aが現れた。確認の電話を入れるまで全く反応が無かったので放置した場合が気になるが、余り遅くなってはブキティンギに行けないので40分でしびれを切らしてしまった。
ここからが意外と大変でバスターミナルやバス会社に行ってもブキティンギへのバスは無いと言われる。Aが現地語で色々と聞いて周り、最終的に乗り合いタクシーの様なブキティンギ行き、ミツビシのオンボロバンを見つけてくれた。
どうやら近距離過ぎて、大きなバスは走っていない代わりに乗り合いタクシーが常にパダンとブキティンギを行き来しているようだ。
Aと別れの挨拶をし、バンはブキティンギへ向け出発した。
やはり乗り合いタクシーだという見立ては間違ってなかったようで向う方角が合う人を途中で乗せたり降ろしたりしながらのんびり進む。
運転手が助手席に乗せてくれ、9割インドネシア語だったが見えるものを色々説明してくれた。
運転手が道端で買い、分けてくれたお菓子。
ココナッツのパンケーキ。
宿を出て3時間ほどでブキティンギに到着した。
ブキティンギのシンボルとも言える時計台広場。
オランダが建築し、大戦時代には日本軍が和風に改造し、地震で崩れた際にはミナンカバウ建築を模したオブジェを上につけ今の形となっている。
Aにここはマストだと言われて来た、動物園。正直マストと言うほどでは無かったが山間のブキティンギでは休日を過ごす憩いの場なのだろう。
夜の時計台広場。赤道の50km南に位置するこの都市だが、標高が高く夜は半袖では少し肌寒いほど涼しくなる。
涼しくなり活動的になるのか、友人や恋人同士、家族連れが集まり賑わいを見せていた。スピーカーの音楽が響き、屋台に物売りと賑やかな広場で一人黙々とご飯を食べる。寂しくないと感じるのは一人旅に慣れてしまったからだろうか。
19日目 パダンの青年。
実はバスで仲良くなった青年Aとは今日パダンで遊ぶ約束をしていた。
一応相手が私を友達だと思っているのか、商売相手だと思っているのか昨日の時点で探りを入れておいたが恐らくありがたいことに前者だと判断したので誘いを受けた。
昼頃、自前のスクーターで私が宿泊している宿まで迎えにきたAと昼食を食べに行く。
パダン料理。インドネシア中に広まっているパダンのレストランスタイル。出来上がった料理がガラス越しに並べられており、好きなものをいくつか選んで食べる。当然食べた分だけ支払うのだが、インドネシアはレストランで料金の表示があるところが少なく特にパダン料理では見たことが無い。
したがって食べ終わるまで料金がわからない。これがボッタクリ大国インドを経験した私としては大変な恐怖で、食べた後に法外な値段や外国人から割増料金を取っているのではと毎度、疑心暗鬼に陥ってしまう。
ただ今回の支払いはAが一緒なので安心だ。米、フライドチキン、野菜入り卵焼きを食べ、24kルピア。会計でお釣りを誤魔化されたが、受け取ったお釣りを何度も数える素振りを見せるとすぐに不足分を出してきた。
今まで行ったパダン料理より安い気がするのだが、単に高い店だったのかパダンの物価なのか、今まで割増料金だったのかは不明だ。
昼食の次は博物館に来た。
ミナンカバウ様式と呼ばれる特徴的な形をしたの建物内部が博物館になっている。
博物館ではミナンカバウ人(古くから近くにある山間の都市ブキティンギに住んでいた部族)の文化や対戦時代の日本軍に関する記録が紹介されおり、Aが色々と説明してくれた。
海を見に行こうというAの提案で崖上から海を見渡せるカフェに入った。
スゥスゥというココナッツジュース。ココナッツに練乳のようなものを溶かしてある。スプーンでココナッツの実を剥がしながら飲む。
続いてパダン中心部に戻り浜辺の市場を見学し出店を見て回り解散とした。
小さな漁船のすぐ隣で魚が売られている。あの小さな船で取ってきたのだろうか。
Aがバイクを出し色々と連れ回してくれた上に、食事も私が出したり、彼が払ってくれたりと最初に警戒したようなことは何もなかった。しかしここまでのもてなしを無償で受け取るのが逆に申し訳なくなり、ここで金を渡すのも失礼だと感じたので、帰りにガソリンスタンドに寄ろうと言いガソリン満タン分を何とか私持ちで支払った。とは言えスクーターの満タン分など知れているが。
Aに礼を言い、明日ブキティンギへ向うと告げるとバスのところまで連れてってやると申し出てくれた。優しいAに感謝しまた明日合う約束をして別れた。
18日目の続き 二悶着。
バスが到着し、予約していたバスターミナル近くのホテルを目指す。
津波の避難経路だろうか。
ホテルにつき、チェックインをしようと名前を告げると驚くことに部屋が空いていないと言われる。booking.comで予約した証拠を見せても空いていないものは空いていないんだと相手にしてもらえない。長旅の疲れもあり少々短気になっており受付を問い詰めた。
この責任はアプリとホテルどちらにありますか?
booking.comです。あと、アプリの値段は間違ってるのでその金額では泊まれません。
では、私はあなた方ホテル側ではなく全面的にアプリに解決を求めたら良いわけですね?
た、たぶんそうです。でも私達のボスが何とかかんとか。(歯切れが悪く良く聞き取れない。)
本当は金額や空き部屋を修正しない君達が悪いんじゃないですか?
い、いやそんなぁ ことはぁ 無いんじゃないかなぁ...
呆れた。このホテルは恐らく低価格で客を寄せ付け実際はもっと金を取っていたり、空き部屋の管理もずさんなのだ。
私はホテルの評価が低いことから嫌な予感がして、キャンセル無料プランで予約していたので泊まれないだけで済んだのだが、最安の返金不可プランならばアプリに問い合わせて返金申請等大変な手間になる所であった。
booking.comにクレームをと思ったが今日の宿を確保するのが先決である。憎たらしい受付の前に居座り、新たなホテルを予約し、配車アプリでタクシーを呼ぶ。
腹立たしい事に、代わりのホテルを探している間も私がわかったわかったと言っているのに受付はしつこく言い訳をしていた。
バイクタクシーが到着し私が出ていこうとしたとき、後ろから受付に呼び止められた。どうやら謝罪をしているようだ。
最初に謝罪なり解決を手伝ってくれたら容易に許しただろうが、今更の謝罪を受け入れる気にはなれず受付を睨みつけ、新たなホテルへと向かった。
ついたのはカプセルホテルで安いだけあり、水シャワー蚊だらけ不潔な水回りと散々だったがもう引き返せない。一通り寝る支度を済ませカプセルに入るも、カプセル内に蚊が大量に湧いていた。
先ほどの怒りを発散するかのごとく全ての蚊を握りつぶしようやく安心できた。
booking.comにクレームを入れるつもり満々だったが、もうあのホテルに時間を使ってやることすら腹立たしくなりクレームは辞めにし、気絶するように眠った。
17,18日目 戦々恐々30時間バス旅行。
11時発のバスなのだが何故か朝9時に来いとしつこく言われたため時間通りに到着した。
しかしバス会社の社員におはようじゃバス来るまで待っててね。と言われただけで2時間前に越させた意味をまるで感じない。
待ち時間に買ったサイのプリントが目立つジュース。
薄いブドウ水。絶妙に味がついていて個人的に好かないいろはすみたいだ。
炎天下の中、朝食を食べつつバスを待っていると一人の青年と仲良くなった。
彼は海外に出稼ぎに出ており、中国の船舶関係の仕事に就いているようだ。しかし、持病が悪化したためパダンに帰省する事になったと話していた。
話している内に時間は過ぎて、バスがやってきた。
バスの座席は彼の隣であり、バスでの移動中は行動を共にする事になる。
一方でバスの設備だが、修学旅行のような40人乗りの狭い座席でリクライニングもまともに機能していない上にトイレは写真に写すのが憚られるほど不潔であった。
2.3時間走るとバスはジャワ島とスマトラ島を結ぶフェリーに乗り込んだ。
今度のフェリーは長距離カーフェリーといった雰囲気で日本の中古なのか避難経路を示す緑色の案内に非常口と日本語で書いてあった。
1時間半ほどでスマトラ島に上陸し、また走り出す。
♪〜
途中休憩で夕食を青年と食べ、再びバスは走るのだが、夜の気温低下をものともせず昼間と同じ強さで冷房をつけているので車内は極寒。服をキャビンに入れてしまい半袖で凍えながらバスに備え付けのブランケットに包まり朝を待つことになった。周りを見るとみんな厚手のパーカーやダウンを着ており対策は万全だ。みんな寒いなら頼むから冷房を弱くしてくれ。
♪〜
ブランケットのお陰で何とか寒さには耐えられそうだが、次に厄介なのは音楽だ。バスが出発してから昼間のうちは気にしないようにしていたが、夜はやめて頂きたい。
ネパールの深夜バスの車内を思い出す様な爆音のbgmがかかる。インドネシア人は楽しんでいるのかと隣の青年に聞くが、彼も迷惑そうだ。
冷房とか音楽とか客が嫌がることしかしないバスの中で眠りにつく。
朝になっても30時間の道のりなだけあり、到着の気配はまるで無い。寒さは消えたが、寒さに耐えた疲労と狭い座席に耐えかね、睡眠と現実逃避に精を出す。
現実逃避とは大げさだが、ただバスの車窓から景色を眺めたり、ダウンロードしてきた書籍や映画を見るだけの要は暇つぶしをして劣悪なバスのことを一時的に忘れようと試みているに過ぎない。
日が昇ってからもバスは走り続け13時頃になり、ようやく食事休憩。
食べたのはサテーという東南アジアの焼き鳥。クアラルンプールやバリでも食べていたが場所によって味付けが全然違い面白い。
サテーでは足りず、インドネシアでよく見るカップラーメン、ポップミーを食べてみる。味は普通。
バスは理由不明の立ち往生や渋滞に巻き込まれながら午後10時ようやくパダンに到着した。
実に35時間の長旅がようやく終わりを迎えた。
この後、安心して眠りにつくまで二悶着ほどあるのだがそれはまた次回。
16日目 そそくさとジャカルタ退散。
宿で調べるも大した観光地も見つからない他、町が広すぎで散歩するにも移動がネックになるのでジャカルタとはさっさとおさらばすることにした。
とは言え次の目的地は遥か1400km先のスマトラ島はパダン。今日行こうと気軽に行ける場所でもないので、バスターミナルへ明日のチケットを取りに行く。
勿論飛行機という選択肢もあり2時間程度で着いてしまうのだが、ここはバックパッカーらしく誰しもが取れない進路を取るべきだろう。
バスで最短30時間の道のりになる超長距離バスの一番安い座席を予約した。
その後はインドネシア最大とどこかで見たチャイナタウンを覗いてみた。
きれいに整備されていたが、中国っぽいだけでそこまで大きくもなかった。
インドネシアのチャイナタウンはどこもイマイチ。
夕食のガドガド。インドネシアのベジ料理でピーナッツソースが美味しい。
翻訳に失敗したたこ焼き屋台。
日本の食べ物がかなり流行っているようで、屋台系ではたこ焼きやお好み焼き、レストランでは吉野家や寿司屋、ラーメンをよく目にする。
明日の移動に備え早めの休息とした。