20日目本旅行の最終地点カトマンズ

朝5時到着予定のバスは良い感じに遅れて7時頃カトマンズ中心地に到着した。

ルンビニポカラ然り、ポカラカトマンズ然り、長距離バスは安い以外に利点がない。エアコンがついていてもまともに使わないし、夜中の立ち往生、悪路の揺れに耐えなくてはならずあまり快適ではない。
おまけに最悪なのは、乗務員が自分の好きな音楽や映画をスマホから飛ばし、車内で爆音を響かせる点である。
走行するだけでストレスを与えてくるネパールの深夜バスにも関わらず、睡眠の邪魔までされこの上なく不快であった。

バス停から宿まで少し歩くつもりが、タクシーの執拗な粘着を受け、最初にディスイズネパーリープライスとか言っていた500ルピーが200ルピーの真のネパール価格まで下がった雰囲気なのでホラ吹きタクシーに乗ってやった。

宿はタメル地区という安宿、土産物屋、バッタモントレッキングショップ、ナイトクラブが多く立ち並ぶ旅行者や現地の若者が集う場所である。
宿から適当に散歩に出ると間もなく、麻薬だの違法風俗だの、私と話して英語の勉強がしたいから町を案内させてくれと言う私より英語が上手な青年に話しかけられる始末(青年はガイド料は不要だと言った直後、家族が貧しいから食べ物を買う金をくれと言ってきた。それなら最初からいくらでガイドさせてくれと営業したほうが良いだろうに)。
しかも、一人二人ではない。最後のはまあインドと似たりよったりのだが、前者2つは至る所で勧誘されタメルは旅行者の町であると同時に重めの犯罪が蔓延る場所なのだと感じた。

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外国人への挨拶について

皆様は日本で初対面の外国人に挨拶をする時何と言うだろうか、ほとんどの方が英語か日本語で挨拶をし、いきなりボンジュールとは言わないはずだ。
しかし、ネパールでは結構このボンジュールと言ってくるタイプがいる。私は見るからに東洋人なので流石にフランス語では話しかけられないが、ニーハオとかアニョハセヨと言われることがある。
特段気にも留めず、ニーハオと言われればニーハオと答えるが、それが何度も続くとまあ気分は良くはない。同様に中国人や韓国人だって日本以外でこんにちはと言われ続けたら気分は良くないだろう。
したがって、外国人に話しかける時は現地語か英語で話しかけるのがベターだと思うのだがどうだろうか。

ちなみに、タメルの犯罪勧誘は的確に私の国籍を見抜きこんにちはと声を掛けてくる。これはこれで気味が悪い。ここで少し違和感を覚えるのは、なぜ後ろ暗い商売をするものは的確に日本語で話しかけてくるのかだ。答えはおそらく、それだけ日本人は上客(カモ?)なので中国人韓国人日本人構わずに日本語で話しかけている、ということだと推測する。
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タメルから南にしばらく歩くと、歴史的建造物が密集しエリアごと入場料を取っている場所があった。入場料は1000ルピー。地震による破損の修繕費にもなるというので支払い見学することにした。
入って間もなく、日本語でnhkのガイドをしたことがあるという男に日本語ガイド1時間20ドルで雇ってくれないかと声を掛けられた。一時間のガイドに20ドルなんて学生の私には払えません。と断るが男は値段を下げるタイプの交渉ではなく、ガイドの質の良さをアピールし、一箇所だけお試しでガイドしてから決めるよう食い下がってきた。

無料お試ししてみると、本当にわかりやすく良いガイドのようなのでこちらが値切りをし、応じないと立ち去るフリをして、一時間10ドルで話をまとめた。
(※特別、ガイドは欲しくもなかったので10ドルにならなければ本当に立ち去るつもりだった。)


カトマンズの名前の由来となった、一本の木から作られたという寺、カスタマンダプ。


昔、長髪のアメリカ人が境内で大麻を吸いながらギターを弾いていたということからヒッピー寺という不名誉なあだ名をつけられた寺。


クマリという生き神様として崇められる少女が住む場所。クマリになるには容姿や度胸といった36の試験をパスする必要がある。選ばれるのは3〜5歳の幼児で12歳前後までクマリを務めるらしい。撮影不可なものの本人を拝むことも出きた。

とまあこんな感じで色々と教えてもらい思ったより充実した1時間だった。彼を信用してきたところで最後には人気のない土産物屋に連れて行かれた。色々絵を見せられて50ドルだとか結構高額な値段を提示してくる。当然買わない買わないと返事をしていると店主が出入口に立ち塞がりながら、いくらなら買うんだと聞いてくるので、失礼だとは思うが本心からタダでもいらん!と言い放ち土産物屋を強引に出た。

その後土産物屋の外でガイドに10ドルを支払い別れた。最後の土産物屋が無ければおすすめ出来る良いガイドだったのに。

バス旅の疲れもあってか昼過ぎだが観光をやめ、再びタメルで勧誘を受けながら宿に帰り、この日はダラダラと過した。