8日目ダッカ富貧観光記

宿の主人には朝食はボーイに買いに行かせろと厳命されていた。

気分もお腹の調子もよく起きた私は朝食を食べに
自分で外へ出た

だって、朝食の外食場所を決めていたんだもの。
ボーイは客のお使いや荷運びをしてチップを受け取り、更にバクシーシ(施し)をねだることで生活しているので、私が自分で外に出ると彼の朝食代がなくなってしまうのだ。しかしながら、今現在ガチで金がないというかタカがないので買いに行かせるにしてもチップとバクシーシの支払い能力がない。

外へ出てATMで使えない1000タカ札とちょっと使える500タカ札を出す。インドにも共通するのだがローカル向けの場所ではお釣りが沢山ない場合がほとんどであり、単価が安いので桁が大きい札は意味をなさない。

こんなことを考えながら歩いているとまもなくダッカ大学に到着した。ダッカ大の学食はいくつかあるのだが私が入った学食のメニューは一種類、言語もベンガル一種類、留学生は居ないのだろうか。何が何だがわからないので釣りをくれと念押しして嫌な顔をされながら500タカを渡し、座っていると料理とお釣りが来た。

30タカの朝食です。あんまり美味しくない。

大学を後にし、バングラディシュで行きたかった散髪に行く。本来は青空散髪と呼ばれるローカル向けの道端散髪に行きたかったのだがどうにも見つけられず適当な床屋に入る。


バングラディシュで髪を切ると決めてからどんな髪型にも対応出来るように3ヶ月のばしていました。
注文は「バングラディシュの若者みたいにしてくれ。」と頼んだ。

サイドが短くセンターの髪で動きをつけるスタイルになった。確かにこんな雰囲気の人は多いし大変満足である。

髪を切って満足しホテルのチェックアウトを済ます。1000タカのお釣りがありそうなKFCでおやつを食べ、本日メインイベント、独立戦争博物館へ。




パキスタン軍から逃れた人々の難民キャンプ

古代のベンガル地方(コルカタバングラディシュ)が南アジアで最も裕福であった歴史から、イギリスによる搾取。インド、パキスタンとして独立後のパキスタンとの独立戦争に勝利するまでの歴史を解説していた。展示はかなり生々しく搾取の事実や戦争の悲惨な光景を伝えていた。
また、広島長崎に関する期間限定の展示があり、私が日本人だとわかると歓迎された。


博物館を出たところで青空床屋を見つけた。

本日の予定は全て終わったので、まだ16時半であるがバス会社へ向かう。バスを待つ間は明日へ向けた対策である。何の対策かって?インターネット無しでダージリンに辿り着くための対策だ。食あたりで足止めを食らっている内に現地simカードの有効期限が明日早朝までとなってしまったため仕方なく備えなくてはならない。

バスは2時間半遅れの21時半に出発し、マハラジャシートと疲れが相まってすぐに眠ってしまった。