13日目前編友達旅立ちとガンガーの幸福

本日は早朝に起床し、同級生の友達と2人で日の出と共に行われるプジャを見にアッシーガートへリキシャで向う。

残念ながら雲で日の出は拝めなかったが薄ぼんやり明るい空とプジャの炎が幻想的に見えた。

プジャの後、彼は日本を立つ際、知り合いとガンジス川に脳天まで浸かって沐浴をすると約束してきたらしく、インド人に引けを取らない豪快な沐浴を見せてくれた。

(私はビビって膝下沐浴で済ませました。足の爪の間が何故かちょっとピリピリしました。)

アッシーガートからの帰りはプジャ前、友達にトイレを案内したり、沐浴のアドバイスや荷物番を手伝ってくれたバラナシ人が送ってくれると言うので親切に乗っかることに。
乗り物は途中で不自然に止まり、バラナシ人はチャイを奢ってくれ、私達に写真を見せてきた。何やら伝統工芸的な織物を織っている様子が携帯の画面に写し出されていた。

私「ハイ、デハコレカラドウスルンデスカ?

バラナシ人「この織物気になるやろ?今から見に行こうや!

お前もかぁ!!!コノヤロー💢💢

バングラディシュは治安上このシチュエーションになるのは全力で避けていたが、インドで気が緩んだのかコルカタぶりにボッタクリにーちゃんと仲良くしてしまった。

まぁでも、ここまで世話になったしこっちは二人だから... それにちょっと気になるし少しだけ見に行ってヤバそうなら逃げるか、と結論をだしついて行くことに。

裏路地について行くと途端に喧騒が完全に消えた。

ここで確認しておくが、バラナシは基本的にどの路地でもある程度の喧騒が担保されており雑音不足になることは無い。

路地の角を一つ2つ曲がったところで
兄ちゃん「アイライクジャパニーズヤクザ
.ヒアーイズイスラムエリアベリーピースフル

論理という言葉を辞書で引き直したくなるような二言を告げてきた。

咄嗟に友達と目を見合わせ退路を確認し一安心する。
今の我々には冗談が通じる状況ではないのでどうかヤクザは冗談でピースフルはマジだと言ってくれ。

ここだと案内された織物工場はどう見ても、織物売場であった。
中にはきらびやかな織物が並び真ん中には、織物に似つかわしくない海外マフィアのドンを彷彿とさせる大男が鎮座していた。(というか、そうなのかも) 見た目で人を判断してはいけないのだがもう一つ大きな懸念がある。

店は二重扉になっているにも関わらず内側の扉に外から掛けられるタイプの巨大な南京錠がついていた。
このまま、中にはいれば二人仲良く、南京錠で軟禁状態、ゲフンゲフンしてる暇もなく、逃げるぞと合図をする。

私はスマホをポケットからバッグに入れ換え、問答無用全力逃走体制を取るが、友達は起点を効かせ、「30分後から宿で朝食を食べなきゃだからお暇するね」とでまかせを兄ちゃんに言う。

すると兄ちゃんは意外にも素直に受け入れ、路地の外まで案内してくれ、チャイ屋から宿近くの大通りまで送ってくれた。
※何も買わなかったのでタクシー代は取られた。

無事宿に戻り、しばし休憩と朝食を挟んでから、友達は本日デリーに向けて出発するようなので別れの一杯として再びラッシー屋に行き、見送りを済ませた。

ここまで心強い仲間と行動していたから軽減されていたのか、よりバラナシの濃い雰囲気を直に身体で感じながら一人路地を進んだ。

向かった先は、バラナシに2つ存在する、火葬を執り行うガートである。


布や花に包まれた遺体がガートに運び込まれてくる。

遺族と思われる少年がガンガー(ガンジス川)の水やお香のような物で遺体を清めてから火葬が執り行われ、最後に焼け残った遺体はガンガーに還される。
今、正に火葬をしている隣で釣り糸を垂らす老人や、老人に疎まれながらガンガーに飛び込む若者、少し下流には洗濯をする人々がおり、いかにガートでの火葬が日常的なものなのか見て取れた。

ヒンドゥー教では死後ガンガーに流されることが最終目標とされ最も幸福なことだという前知識を若干持ち合わせており、最初は幸せになる現場を目にするのだという認識でガートに赴いた。(後に、気さくなリキシャワラからヒンドゥー教について聞くと、彼自身も最期はガンガーに流されたいし、それが幸福だと語っていたから、ガンガーに還ることはやはり幸せなことなのだろう。)

しかし、10歳前後であろう少年が目に大粒の涙を溜めながらも泣くのを堪え、親類の遺体を清める姿は、彼自身が持つ悲しみと、親類が幸せになるという頭では解っている理屈の間で揺れている様に見え、どの様な信仰があれ残される者に死別がもたらす悲しみは皆等しいのものなのだと感じた。

先ほどの火葬が始まってから、しばらくすると、また別の遺体が運ばれてきた。
遺族として同伴していたのは30代後半に見える男性だった。彼は悲しみを顕にしていると同時に、見世物のように火葬を眺める私含め信仰心を持たない旅行者を時折鋭く睨みつけていた。

もう少し、この私にとっては歪で独特な雰囲気にのまれて居たかったが火葬の熱と彼の視線に耐えかねガートを後にした。
ガートから大通りまでの路地では火葬の順番を待っているのであろう、悲壮な表情を浮かべる人々が居た。

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