12日目バラナシ突入と再会

寝台列車は、エアコン付きクラスのチケットを取得していた為、客層がよく安全で快適だった。

そしていよいよ、午前9時半、遅延なしでバラナシに到着した。
ホームに降りた途端、食べ物や排泄物、動物臭が混ざりあった異臭に包まれ、この場所がバラナシであることを実感させてくる。

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下記のurlからバラナシの概要を見てイメージをつけてから、旅行者目線のバラナシの一例をブログで体験していただくと面白いかも知れません。
(https://www.saiyu.co.jp/special/india/midokoro/varanasi/)
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駅を出て、法外な値段を言ってくるリキシャワラ達と値段を交渉し、ひとまず宿へ向かった。

宿につき、とある人物に連絡を入れチェックインの手続きに入る。するとまもなく、「よ!」と上階から降りてきた人物を見て心の底から安堵した。
彼は偶然にも同時期にインド一人旅挑戦中である高校時代の同級生だ。コルカタで私が泊まった宿に2.3日後に来るというニアミスから、旅行中に連絡を取り始め、ダージリンで会う約束をしていた。ところが、国境越えに失敗した為、バラナシを再会の地に変更していたのだ。

荷物を宿においたところで、二人で街へ出る。

有名なラッシー店、ブルーラッシー
火を通してないローカルフードは、稀にいや、ちょくちょく腹を下すらしいのでちょっと怖かった。
(コンニチワ、ダボダボズボンヤスイヨ)


食後は、インド最古の大学、バラナスヒンドゥー大学内の大きな寺院を見学し、ラームナガル要塞博物館へ。

博物館の券売の列に並んでいると、日本人ですか?と一人の日本人女性が声をかけてきてくれ、その流れでその日は3人で行動することに。後々お話をしていると、驚くべきことにハウラー駅の男性に続き、彼女もまた、私の大学のOGであり、さらには共通の知り合いまで居ることが判明した。
博物館では、ラームナガル製の武具や、マハラジャ藩王)の調度品が、展示されていた。(撮影禁止につき写真はないです。)

続いて3人で向う先は、バラナシに84個あるというガートの一つ、ダシャーシュワメード・ガートだ。

(ガート・・・ ガンジス川に降りるための階段が川へと続いている場所。)


旅行者はあまり来ないローカルなガート

ガートでは毎晩毎朝、プジャと呼ばれるヒンドゥー教の礼拝が行われており、見物のため人でごった返すと聞いたので開始1時間半前から場所取りに向かった。
(ダボダボズボン、ダボダボズボン)



プジャの様子。
ガンジス川とプジャの演舞?さらに集まったヒンドゥー教徒が独特な雰囲気を構築していて、なぜだか無心で見入ってしまった。

プジャの後は3人で宿の門限まで晩酌タイムである。久々に込み入った話が出来て癒やされた。(英語では簡単なコミュニケーションを取るだけで限界なので...)

宿に帰ってから無性にダボダボズボンが何なのか気になりながら眠りについた。
※バラナシは日本人観光客が多い街で、大通りはダボダボズボンを始め、日本語の客引きや日本語で観光客を騙そうとする輩で溢れかえっている。

次回から奥深いバラナシに触れていきます。